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Chủ Nhật, 8 tháng 11, 2015

深谷市。映画館で街に潤いを。NPO竹石研二

2015/11/8】東京新聞、引用編集
深谷シネマの年代物の映写機を操る竹石研二さん
深谷市深谷町の旧中山道沿いにある映画館「深谷シネマ」。
わずか六十席の映画館だが、年間約百本の作品を上映し、約二万五千人の来場者を集めている。
市民団体が主体となって文化、芸術性の高い作品を中心に上映する「コミュニティシネマ」の草分けとして注目され、全国から視察が相次ぐようになった。

 深谷シネマを運営するNPO法人「市民シアター・エフ」が発足して十五年。
“生みの親”の竹石研二さん(67)は「ようやく市民に親しまれる街の映画館として定着してきた。
これからも市民の暮らしと共にある映画館を目指したい」と語る。

 竹石さんが深谷シネマの構想を温めたのは十七年前。
ちょうど五十歳を迎えた時期に勤め先から転勤を言い渡され、岐路に立たされた。
テーブルにメモ用紙を広げ、自分自身に問うた。
「自分の夢は何か。本当に自分がしたいことは何なのか」

 竹石さんは勤め先を辞め、仲間と共に「市民のための映画館をつくろう」と署名活動を始めた。
市内から映画館が消えて三十数年。
「商店街の一角の小さなスペースでもいい。
映画館を核に、かつての街のにぎわいを取り戻そう」との思いからだった。

 二〇〇〇年にNPO法人の活動を開始。
この年、第一回市民映画会を開いたほか、商店街の店舗を借りた仮設のミニ劇場に一週間で千百五十人の来場者を集めた。
〇二年には銀行の空き店舗を改装して念願の常設映画館「深谷シネマ」(五十席)を開業。
一〇年に旧七ツ梅酒造跡を改装し、移転オープンした。
リーマン・ショック直後は来場者数が三割ダウンし、赤字に転落したが、その後客足は持ち直しつつあるという。

 「映画館ができると人が来て、空洞化しつつある商店街に新たな人の流れが生まれた。
映画館は街の必需品なのだとつくづく感じた」。
深谷シネマの経験を全県に広めようと、各地での上映会や小規模映画館開設の手伝いにも力を入れる。
シネマコンプレックス(シネコン、複合映画館)が主流となるなかで「県内の自治体のうち約三分の二に映画館がない」と憂いつつも「街の小さな映画館とシネコンのすみ分けは十分可能だ」と指摘する。

 また、深谷シネマに足を運べない人のために年間二十回ほど、映写機を運んで各地で出張上映会を開いたり、市の記録映画の制作も手掛けたりと、館外活動も盛んに行っている。

 「映画は自分の体験したことのないわくわくした世界に連れて行ってくれる“窓”だ。
国を超えて人間の多様な生き方も見せてくれる。
その魅力を伝えたい」 (花井勝規)


<たけいし・けんじ> 1948年、東京都墨田区向島生まれ。都立の工業高校を卒業後、工場勤務などを経て75年、横浜放送映画専門学院に入学。卒業後、日活児童映画の企画営業部門で約10年間勤務。2000年、「深谷シネマ」を運営するNPO法人「市民シアター・エフ」の理事長に就任した。NPO法人埼玉映画ネットワーク理事長も務めている。深谷シネマの所在地は深谷市深谷町9の12。火曜休館。問い合わせは同シネマ=電048(551)4592=へ。

Thứ Sáu, 6 tháng 11, 2015

町の顔は「マリコ人形」 長野県・富士見町

15-2】(信濃毎日新聞社・菅原絵里菜)引用編集
さまざまな「マリコ」を前に作業する大御堂恵子さん
長いまつげの大きな瞳に、笑みを浮かべた真っ赤な唇。
〓(順の川が峡の旧字体のツクリ)の染まった丸い顔。
独特の風貌の人形に「それでいいのよん」「うまくいくわよん」といった前向きなメッセージが添えられている。
「マリコ」と名付けられた女の子の人形が、長野県富士見町の新たな名物になりつつある。

  町内で買えるのは商店街や道の駅など9カ所。
酒店では酒瓶を抱えた「よっぱらいマリコ」、豆腐店は四角い顔の「とうふマリコ」―とそれぞれ違う人形(1体980円前後)が売られている。

 作っているのは、町内の人形作家、大御堂恵子(おおみどう・けいこ)さん(40)。
知人の高校生の娘に「マリコという名前がぴったり」と言われ、そのまま名付けた。
2010年夏のことだ。

 最初は、女の子の形をした人形をレストランに置いただけだったが、文房具店にペンをかたどった「ペンマリコ」を納めたところ評判に。
「うちにもオリジナルのマリコを作ってほしい」との声が相次ぎ、さまざまな変わり種を作ることになった。
その店でしか買えないマリコ人形を集めよう―と町内を巡るファンも現れた。
大御堂さんによると、これまでに千体以上が売れたという。

 町発行の観光情報誌には、昨年秋から「マリコが行く」と題するコーナーもでき、町の見どころを案内する役として登場。
町産業課主任の清水美紀(しみず・みき)さん(31)は「富士見町のPRに一役買ってくれている」と話す。

 町内の商店で生まれ育った大御堂さん。
周りには閉店した店も多く、現在の商店街の姿に寂しさも感じるという。
「マリコをきっかけに町に興味を持ち、訪れる人が増えてほしい」。
そんな願いを込め、365日、休まずに針を動かしている。


*
 マリコ人形は、富士見町の友好都市、東京都多摩市にある共同のアンテナショップでも販売されている。
「キモかわいい」と評判。ルバーブジャムやそばといった町特産品とともに、多くの人に愛されることを願う。

Chủ Nhật, 1 tháng 11, 2015

酒蔵で映画 地域の拠点へ改装 深谷市(ふかやし)

15-1】(埼玉新聞社、文と写真・江利川義雄)引用編集
深谷シネマ」の周辺では、イベントも開かれている。2013

 旧中山道の宿場町・深谷市(ふかやし)で、廃業した造り酒屋の建物群を地域の拠点に再生しようと、まちおこしが進められている。
中心は酒蔵を改装したミニシアター「深谷シネマ」。
敷地内には古本屋や交流拠点、軽食堂もあり、幅広い世代が集う場になりつつある。

 切り妻屋根の蔵の中にはスクリーンがかかり、段差のあるフロアにゆったりとした座席が並ぶ。
お盆明けに上映されたのは、有川浩さん原作の「県庁おもてなし課」。
まちおこしにかける地方の人たちの物語だ。

 深谷シネマは、つくられていた清酒の銘柄にちなんで「七ツ梅酒造」と呼ばれた酒蔵の面影を残す。
創業約300年の歴史を誇った老舗の敷地にはれんが煙突がそびえ、重厚な倉庫が今も残る。

 造り酒屋は2004年に廃業、建物群はロケ地に使われる程度だった。
10年に一般社団法人「まち遺(のこ)し深谷」が維持管理を担い、NPO法人「市民シアター・エフ」運営の深谷シネマが移転したことで生まれ変わった。

 二つの団体は、ともに市民が主体。
困難はあったが、深谷シネマ館長の竹石研二(たけいし・けんじ)さん(65)は「映画館とまちづくりはセット。
移転先を、ここにしたのは正解だった」と話す。
まち遺し深谷の専務理事大塚博(おおつか・ひろし)さん(64)も「深谷シネマが移転してくれて、地域おこしの歯車が大きく動いた」と、手応えを感じている。

 3千平方メートルを超える敷地に残る建物には豆腐店や講座を催す寺子屋、鬼瓦づくりの工房など約10店舗が入った。
しかし、大塚さんは「まだ使われていない魅力的な建物も多い。
ライブハウスや寄席もつくりたい」と、夢を広げている。



 【埼玉新聞社】
参加新聞社
もうひとおし
歴史ある建物に存在感
 JR深谷駅から北に歩いてすぐの市街地に旧七ツ梅酒造はある。約300年の歴史を刻んだ建造物は存在感がすごい。レトロな異空間は若者にも好評で歩くだけでも楽しい。映画を見て散策してほしい。魅力的な場所だ。(埼玉新聞社・江利川義雄)

Thứ Sáu, 30 tháng 10, 2015

鉄道遺産がワイン貯蔵庫に 甲州市

17-3】(山梨日日新聞社、文と写真・長田和之)引用編集
「勝沼フットパスの会」のメンバーの案内でトンネル内のワインカーブを見る観光客ら


 東京方面からJR中央線に乗り山間地を抜けて甲府盆地に入ると、眼下にブドウ畑が広がる。
山梨県甲州市の勝沼地区は全国有数のブドウ産地で、日本のワイン産業発祥の地でもある。

 観光ブドウ園の先駆けとなった「宮光園(みやこうえん)」や、現存する日本最古の木造ワイン醸造所(現シャトー・メルシャンワイン資料館)など、数多くの近代産業遺産が残る。

中でも異彩を放つのが、JR中央線の旧トンネル2本を活用したワイン貯蔵庫「勝沼トンネルワインカーブ」と「大日影(おおひかげ)トンネル遊歩道」。
ワインカーブは約100万本のワインを貯蔵でき、市内のメーカーのほか、個人コレクターにも開放。
明治時代から勝沼と首都圏を結び、ブドウ産地の形成に貢献した鉄道文化の遺産が貯蔵庫としてよみがえる。

 ブドウとワインのまちの魅力を発信しようと、2006年12月に発足した「勝沼フットパスの会」は、これらの近代産業遺産を地域巡りのツアーのルートに加えている。

 ツアーは毎月第1日曜日に開催。
数人のグループから受け付け「全員が満足してくれるおもてなしを心掛けている。
ブドウ、ワイン産地の歩みに触れることができ、参加者から好評です」と小沢正光(おざわ・まさみつ)会長(61)は言う。

 「先人たちが残してくれた宝を守り、伝えていくことで、自分たちもこのまちにもっと愛着が生まれる。
そんな活動にしていきたい」。
小沢さんの思いは広がる。

 今から100年以上前、醸造技術を学ぶために本場フランスに派遣されたのが、土屋龍憲(つちや・りゅうけん)と高野正誠(たかの・まさなり)。
ワイン造りを通じて2人の若者が描いた地域発展の願いは、現代にしっかりと引き継がれている。

独特の内蔵(うちぐら)、まちの顔に 横手市・増田町(ますだまち)

17-2】(秋田魁新報社、文と写真・三井晃子)引用編集
家の内部に造られた「内蔵」。訪れる観光客が増えている=秋田県横手市

 秋田県有数の豪雪地帯・横手市(よこてし) 増田町(ますだまち)は、家の内部に造られた「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる蔵を生かしたまちづくりに力を入れている。
江戸末期から昭和初期にかけ、地元の有力商人や地主がこぞって蔵を構え、代々受け継がれてきた。
一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される見通しだ。

 内蔵は豪雪に備え、蔵そのものが「さや」と呼ばれる建物にすっぽりと覆われている。
居住スペースの奥にあり、黒しっくいの重厚な扉が特徴だ。
内装は豪華な漆塗りが多い。

 地区で確認された内蔵は約45棟。
密集して現存する地域は全国的にも珍しいという。
自宅が国登録有形文化財となっている佐藤又六(さとう・またろく)さん(74)は「先祖代々受け継いできた蔵は誇り」と胸を張る。

 通りに沿って短冊形に地割りされた敷地に切り妻造りの 母屋が並ぶが、内蔵は建物の内部にあるため、外から見ても分からない。
蔵は生活の場であり、住民以外には長い間、あまり知られていなかった。

 脚光を浴び始めたのは2005年。
地元の文化財協会が地域の記録として発刊した写真集が県内外から注目を集め、所有者の一部が内蔵を公開するようになった。
一斉公開する「蔵の日」と題したイベントも始まり、観光客が年々増えている。

 「増田まちなみ保存会」の会長も務める佐藤さんは「町並みを保存し、地域で活性化させようという機運が高まっている」と語る。
先人が残した歴史的な資源を生かして地域に活気をもたらそうと、住民主体の取り組みが進められている。


*
 表通りから 母屋に入り内蔵を目にすると、一気にタイムスリップした気分を味わえる。

Thứ Ba, 27 tháng 10, 2015

体験する縄文遺跡、人気上昇 北海道・伊達市

17-1】(室蘭民報社、文と写真・佐藤重理)引用編集
北黄金貝塚公園にある復元された竪穴住居を見学する小学生ら。2013

 北海道伊達(だて)市の史跡、北黄金貝塚公園は縄文時代前期から中期(7千~4500年前)の遺跡だ。
2001年のオープン以来、1万5千~2万人の年間来場者を誇る。
今季も札幌市内の小学校の約4分の1に当たる61校が訪れ、かつての牧場は観光バスが押し寄せる史跡に変貌した。

 管理する伊達市噴火湾文化研究所の大島直行(おおしま・なおゆき)所長(63)=北海道考古学会会長=が「活用しながら保存する」方式を提唱し軌道に乗せた。
発掘見学会や市民を巻き込んだ縄文まつりを開き、ボランティアのガイドや植樹・森づくりを担う市民グループが活躍する。
講座だけでなく、キャンプや 竪穴住居での薫製作り、勾玉(まがたま)の製作など体験イベントの企画にも学芸員が知恵を絞り、地域資源に磨きを掛ける。

 洞爺湖有珠山(とうやこ・うすざん)ジオパークの一部で、世界文化遺産の登録を目指す「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の一角でもある。
大島所長は「道内遺跡のポテンシャルは高く、多くの人に知ってもらいたい」と強調する。

 遺跡を抱える自治体とのネットワークも広がる。
同研究所が事務局を担う「北海道縄文のまち連絡会」=会長・田岡克介(たおか・かつすけ)石狩市長=には、25市町が参加。
36遺跡を掲載した「縄文のまちハンドブック」を9月に発行、スタンプラリーも企画する。
旅行会社がバスツアーを決定するなど、早くも手応えがある。

 発足1年で会員が100人を数える、さっぽろ縄文探検隊の佐藤亜美(さとう・あみ)代表(45)は「アイヌ文化のルーツとされる縄文人の精神性など、興味は尽きない。
ハンドブックからは遺跡の魅力も伝わり、活用できそう」と話している。

*
 学習旅行の人気を集める理由は、貴重な出土品以上に情報を発信するボランティアや学芸員の存在にある。


洞爺湖有珠山ジオパーク

Chủ Nhật, 25 tháng 10, 2015

有田焼の茶わんのメロディーを 佐賀県有田町

19-3】(佐賀新聞社、文と写真・木原通代)引用編集.
透き通った音色で魅了する筒井孝司さんの演奏会

 何の変哲もない、普段使いの茶わんが木琴用のマレット(ばち)ではじかれ、優しい響きを奏でる。
大小さまざまな磁器が織りなす澄んだメロディーに、聞き入るお年寄りの表情もほっと和んだ。

 日本で初めて磁器が焼かれた佐賀県有田町。
2016年に創業400年を迎える有田焼の歴史と伝統技術を「音」で全国に伝えようと、演奏されているのが茶わんを使った「碗琴(わんきん)」。
1300度の高温で焼かれた磁器はレースを巻いたマレットではじいても割れない。

 中心となって活躍するのが有田観光協会事務局長の筒井孝司(つつい・たかし)さん(62)。
02年から演奏会を続けている。
姉妹都市を結んでいる西洋磁器発祥の地・ドイツのマイセン市を訪れた際、街中に「音」があふれていたことに触発され、昭和20~30年代に余興で楽しまれていた「お茶わん演奏」の復活を思い立った。

 当時使われていた茶わん14個を譲り受けた。
さらに、何千もの有田焼の中から、オリジナルにはなかった半音を出せる茶わんを探し出し、現在は31個で2オクターブ半の音階を奏でる。
地元の民謡から童謡、クラシックまで多彩なレパートリーを誇る演奏会は国内外で約400回を数えた。 

 筒井さんの活動に触発され、古田秀之(ふるた・ひでゆき)さん(44)ら4人によるアンサンブル「有田碗琴楽会(ありたわんきんがっかい)」も生まれた。
テーブルに茶わんをそのまま並べる筒井さんのスタイルに対し、楽会は固定した茶わん25個(2オクターブ分)を、鐘をたたくように演奏するのが特徴だ。

 「音を通じて有田焼に興味を持ってもらいたい」―。
互いに個性を競いながらも、碗琴にかける情熱は同じだ。


*
 有田焼には「めおとし」と呼ばれる検品方法がある。
焼き上がった品を一つ一つはじいて、音の響きでよく焼けているか、ひびが入っていないかを判断する。
有田焼のいい音は、1300度の高温で完璧に焼き上げた技術の証しといえる。

Thứ Bảy, 24 tháng 10, 2015

「棋士(きし)のまち」売り出す 兵庫県加古川市

19-2】(神戸新聞社、文・武藤邦生、写真・井上駿)引用編集
将棋ファンでにぎわう井上慶太九段の教室

 兵庫県加古川(かこがわ)市で毎年秋、若手棋士を対象にした日本将棋連盟の公式戦が開かれている。
同市が主催する「加古川青流(せいりゅう)戦」の決勝だ。
3回目の2013年は佐々木勇気(ささき・ゆうき)四段(19)が制した。

 09年から「棋士のまち」を名乗り、将棋を用いて、まちのPRを続ける加古川市。
プロと呼ばれる人は、女性や引退棋士を含めても全国に300人足らずで、約40万人に1人。
ところが、人口27万人の同市には、棋王3期、王将2期のタイトル歴を持つ久保利明(くぼ・としあき)九段(38)をはじめ、5人のゆかりの棋士がおり、それにちなんで名づけられた。

 タイトル戦の誘致などに取り組む一方、11年には、自治体主催の棋戦としては全国2例目となる加古川青流戦を創設。
若手の登竜門として、プロ四段や棋士養成機関「奨励会」の三段らが出場し、半年かけてトーナメント形式で争う。

 第1回で優勝した同市出身の船江恒平(ふなえ・こうへい)五段(26)=当時は四段=ら優勝者の、その後の活躍も目立ち、ファンの間で「加古川」の名前が浸透しつつある。
「職員らが出張先で、将棋で有名なまちですねと言われることも出てきました」と、青流戦の主催団体の一つ、同市ウェルネス協会の栗山隆博(くりやま・たかひろ)次長(50)は話す。

 なぜ、これほど高い割合で棋士が生まれるのか。
大きな理由が、同市在住の井上慶太(いのうえ・けいた)九段(50)が開く将棋教室だ。
船江五段や稲葉陽(いなば・あきら)七段(25)を育て、名伯楽としても知られる井上九段の指導を受けようと、岡山や四国などからもプロを目指す若者が訪れ、腕を磨く。
加古川勢が勢いを増すほど、まちの名も広まる―。
関係者の期待は膨らんでいる。


*
  豪華な解説も見どころだ。
ゆかりの棋士5人も「棋士のまち」の活動に積極的。
加古川青流(せいりゅう)戦の決勝などでは大半がそろい、豪華メンバーによる局面の解説が恒例となっている。
中でも話芸にたけた神吉宏充(かんき・ひろみつ)七段(54)と、ひょうひょうとした井上九段の解説は必見だ。

Thứ Sáu, 23 tháng 10, 2015

現代芸術でまちづくり 青森県十和田(とわだ)市

19-1】(東奥日報社、文と写真・三浦博史)引用編集
岡本太郎の遺作「河神」(右奥)の前で行われた音楽祭=青森県十和田市。2014

 青森県十和田(とわだ)市は、アートを生かしたまちづくりに取り組んでいる。
2008年に開館した市現代美術館が推進役となり、現代アート作品を館内に展示するだけでなく、その集客力を活用して商店街や観光施設との交流事業を展開する。

 旅行形態の変化や東日本大震災により、観光客の減少に悩む同市の十和田湖や奥入瀬(おいらせ)渓流周辺の温泉街でも、アートを地域振興と集客につなげようという試みが始まった。

 13年9月下旬から2カ月間開かれた「十和田奥入瀬芸術祭」では休業ホテルや遊覧船、旧家などを会場に展示とゼミナール、音楽会などを繰り広げ、延べ6万8千人の入場者、参加者を集めた。

 渓流に近い山腹に立つ休業ホテル「水産保養所」も主会場の一つとなった。
写真家志賀理江子(しが・りえこ)さんら3組のアーティストが内装を取り去り、沢水を引いて湖や滝をつくるなど、時とともに荒廃した空間を作品にした。

 他の芸術祭のように「もの」としての作品はそれほど多くない。
アーティストが休業施設それ自体を作品化し、普段は見えにくい地域の課題を明らかにする一方、それまでとは違った地域の魅力や可能性も指し示した。

 それらを通して住民の自発的な行動を促したいとの思いも、芸術祭にはあった。
総合プロデューサー役を務めた現代美術館の藤浩志(ふじ・ひろし)副館長(53)は「奥入瀬は今のままでもいいけれど、こういう在り方もあるというアーティストなりの答えは出せた」と振り返る。

 同市は今後、奥入瀬地区の活性化基本計画を策定し、美術館と連携した観光振興に本腰を入れる。

Thứ Năm, 22 tháng 10, 2015

地元産材をおもちゃに 沖縄・国頭村 (くにがみそん)

【21-3】(沖縄タイムス社、文と写真・栄門琴音)引用編集

木で作ったヤンバルクイナの卵が入ったプールで遊ぶ子どもたち。
国頭村の「やんばる森のおもちゃ美術館」。2014

 沖縄本島の最北端、自然豊かな国頭村 (くにがみそん) で、木を使った地域おこしが始まっている。
昨年11月、村は 辺土名 (へんとな) 地区にある村森林公園内に木のおもちゃで遊べる体験型施設「やんばる森のおもちゃ美術館」をオープン、木の魅力を伝える拠点を構えた。
目指すは、林業や観光業の振興だ。

 「ああ、いいにおい」「気持ちいいね」。
館内に入ると、木の香りで来館客の顔がほころぶ。
木で作った国の天然記念物ヤンバルクイナの卵が入ったプールや、木目がきれいな積み木。
どれも、リュウキュウマツやイタジイなど地元産材で作られたものだ。

 「やんばる」と呼ばれ、貴重な動植物の宝庫として知られる本島北部。
村は自然と共生しながら林業で栄えてきたが、国際競争の波にさらされて建築材の需要は低迷。
新たな活路を模索してきた。

 村や村森林組合などは、建築材には使えない木材を付加価値の高いおもちゃに変えることで、販路の拡大につなげたいと発案。
本島中南部から遊びに来る人が増えれば、観光業への波及効果も期待できると考えた。

 開館を機に、村は村内で生まれた新生児の誕生祝い品として、木のおもちゃを贈る取り組み「ウッドスタート」にも乗り出した。
子どものころから木に親しめば、将来の潜在需要となると期待を寄せる。
 
  宮城久和 (みやぎ・ひさかず) 村長(70)は「やんばるならではの取り組み。まずは多くの人に木のぬくもりを知ってもらいたい。それが、いずれは林業や観光業の発展につながる。経済効果だけでなく、木に触れることで人の心にもいい影響を与えられたらいい」と期待している。

Thứ Tư, 21 tháng 10, 2015

「希少糖」で未来開く 香川県三木町

【21-2】(四国新聞社・植村卓司)引用編集
希少糖入りシロップを使った給食を楽しむ子どもたち。香川県三木町の平井小学校。2014

 自然界に少量しか存在しないが、肥満や糖尿病の予防などに効果があるとされる「希少糖」
「夢の糖」として脚光を浴びる中、研究拠点がある香川県三木町では、子どもたちの生活習慣病の予防に活用したり、町おこしにつなげたりする動きが活発化している。

 希少糖による商品が誕生したきっかけは約20年前。
同町にある香川大農学部の 何森健 (いずもり・けん) 特任教授(70)が希少糖をつくる酵素を発見した。
研究を重ね、希少糖の一種「D―プシコース」に脂肪の蓄積防止や、血糖値の上昇を抑える効果があることを実証、企業や県の協力を得て量産化へとこぎ着けた。

 砂糖と同じぐらい甘いのに、体脂肪はつきにくい―。
その効果に町内の小中学校の栄養教諭らが着目。
「子どもの生活習慣病予防に役立てられるのでは」と、給食への導入に踏み切った。

 昨年末からメニューに取り入れている平井小学校では、今年1月末の給食に希少糖入りシロップをかけた「きな粉団子」が提供された。
「甘くておいしい」「蜂蜜みたい」。
子どもたちの反応も上々で、今後は希少糖の使用頻度を増やしていく方針だ。

 町も、発祥の地としてのPRに本腰を入れ始めた。
「『希少糖といえば三木町』となるように」。
昨年11月に職員によるプロジェクトチームを立ち上げ、戦略を検討している。

 2月には、ふるさと納税制度による寄付者への特典として、シロップなど希少糖の関連商品を贈る試みをスタート。
首都圏を中心に問い合わせが相次ぐなど、「予想以上の反響」と担当者も手応えを感じている。
 町は「希少糖ブランドが確立され、町全体の活性化にもつながれば」と期待している。


*
 「希少糖」は未知の部分がまだ多く残されており、世界各国で研究が進行中だ。
食料品以外の分野でもすでに、環境に優しい農薬、芝生の緑化維持への応用などが検討されているという。
広い分野で「夢の糖」への期待が高まっている。

希少糖 wp

Thứ Ba, 20 tháng 10, 2015

人材育成、漁師塾に託す。尾鷲(おわせ)市早田(はいだ)町

【21-1】(伊勢新聞社、文と写真・広瀬秀平)引用編集

 「大敷(おおしき)」と呼ばれる定置網を引く漁師塾の卒業生と漁師ら

人材育成、漁師塾に託す 過疎の危機に伝統の漁村

 水平線から昇る朝日が、男たちの頬 を赤く染めた。
三重県尾鷲(おわせ)市早田(はいだ)町沖の熊野灘。

  「オイサ、オイサ」。
威勢のいいかけ声に合わせ、地元で「大敷」と呼ばれる定置網が引かれると、ブリやトラフグなど旬の魚が跳ねた。
ベテラン漁師に交じって汗を流す若者は、後継者育成のために地元漁協が実施する「早田漁師塾」の卒業生だ。

「1カ月に35日、雨が降る」と言われる全国屈指の降水量と、南方の恵みをもたらす黒潮
それらが混じり合うリアス式海岸がある同町は、定置網漁や伊勢エビの刺し網漁などでにぎわってきた。

 しかし、近年は過疎が進み、漁業の人手不足も深刻化。
市によると、尾鷲漁協早田支所の組合員数は、1981年の150人から2011年は70人に半減している。

 早田漁師塾は、漁業再生と地域活性化を目的に、12年に始まった。
町に約1カ月間滞在し、漁業のイロハから漁村での暮らし方などを学ぶ。
地縁、血縁に頼らない新たな人材育成戦略だ。

 これまでに県外から参加した塾生2人が卒業、漁師になった。
愛知県豊田市出身の 吉田元治 (よしだ・もとはる) さん(31)は、釣り好きが高じて漁師塾の1期生となり、今は大型定置網の漁師として活躍している。

 今年1月下旬、吉田さんは漁船にいた。「網の使い方とか、まだできないことはたくさんある」。
30歳を超えた"新人"は話し、船内を人一倍動き回っていた。

 「朝日を浴びながら仕事をするのは最高」と吉田さん。
昨年末には地元の女性と結婚し、転職とともに人生の大きな節目をこの地で迎えた。
「将来は自分の船を持ちたい」。
この先も海とともに生きる覚悟を決めた。

Thứ Hai, 19 tháng 10, 2015

庶民の台所から観光地へ 漁師町、カツオでアピール。高知県中土佐町

【2-3】(高知新聞社、文と写真・八田大輔)引用編集

海の幸が並び、多くの人でにぎわう「久礼大正町市場」

  一本釣りの町、高知県中土佐町のカツオは鮮度抜群だ。
地元で"グビ"と呼ぶ、もちもちの刺し身やたたきが漁師町の人情とともに味わえる。
海にほど近い 久礼大正町市場 (くれたいしょうまちいちば) は「市場」といっても40メートル余りの商店街。
アーケードの下に、鮮魚店や総菜店などが並ぶ。

 午前11時ごろ、かっぽう着姿の女性たちが手押し車にクーラーボックスを積んで現れる。
自家製の干物や、夫が釣ったカツオ、ウルメなど季節の鮮魚を露店に並べる。
「食べたいんですが」。
足を止める観光客に「はいはい、切りますか」。
目の前でさばき、あっという間にタチウオの刺し身が出来上がった。

 こうした露店が明治から続く市場の始まりだ。
大火災で一時失われたが、「中土佐町史」によると、大正天皇の寄付で復興したことから現在の名前になったという。
鮮魚店に嫁いだ 田中節子 (たなか・せつこ) さん(79)によると、約20年前まで露店がひしめき「大正町に寄れば、おかずがそろう」という庶民の台所だった。

 不景気や高齢化で寂れつつあった2003年、町も協力してアーケードを改築。
これを機に、カツオ丼などが味わえる食堂を商店主らが共同でオープンした。
市場内で刺し身や総菜を選び、好みの丼を作れるシステムなど、観光客向けの取り組みも人気を集めている。
  昨年は女性たちが「久礼乙姫の会」を結成、イベントで地域の魅力をPRするなど奮闘している。

 町の台所から観光地へ―。
転換に戸惑う住民もいるが、昨春から市場で営業を始めた鮮魚店の 山本美和子 (やまもと・みわこ) さん(38)は「『おいしい』と遠くから来てくれる。
すごいこと。
昔、親と毎日買い物に来た場所で商売ができることは幸せ」と笑った。

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久礼大正町市場 (くれたいしょうまちいちば) の周辺は故青柳裕介さんの漫画「土佐の一本釣り」の舞台。国の重要文化的景観にも選定されている。
作品に登場するような元漁師の古老や、かっぽう着姿のおばちゃんの話に耳を傾ければ、カツオの味もぐっと深まる。

Chủ Nhật, 18 tháng 10, 2015

ベンチをつなぎに交流。中津川市 付知 (つけち) 町

【2-2】 (中部経済新聞社、文・岩崎幸一)引用編集
各地から持ち寄った人たちが連結した「ツナガルベンチ」

 伊勢神宮の式年遷宮に良質なヒノキを納めてきた岐阜県中津川市 付知 (つけち) 町。
「御神木のまち」は、木製品で人や地域をつなぐ試みを進めている。

  けん引役は製材、木工事業者4社でつくる「つながるベンチの会」。
連結できる「ツナガルベンチ」(長さ70センチ)を昨年春から分業で生産・販売している。
1脚5千円。お祭りなどでベンチを持ち寄りつなげ、連帯感やにぎわいの創出につながればとの狙いだ。

 きっかけは毎年春に開く木工市「つけち 森林 (もり) の市」だった。
20年以上続いてきたが、悩みはマンネリ化。
木のぬくもりを生かし人との交流を促し深める機会をつくりたいと、ベンチに着目した。
昨年行った初のイベントには、岐阜県だけでなく近畿や四国からも賛同する人が参加。
200脚以上がつながり、長さは約140メートルに達した。

 座面の装飾は自由だ。買った人が絵を描いたり、彫刻をほどこしたりして「オンリーワン」を作る。
事務局の 早川泰輔 (はやかわ・たいすけ) さん(48)は「若い人には(思いを示す)アイコンだね。
友達同士で『ずっと』『一緒』と言葉を書いて、つなげるケースもある」と話す。


 材木には針葉樹のスギやヒノキ、広葉樹のクリやサクラを使う。
「針葉樹と広葉樹が交じった森は落ち葉で養分が豊富。
山の豊かさを下流域に伝えるために、両方を使いたい」との思いからだ。

 ベンチの会員らは、小中学生に木の扱い方を教える「木工教室」も開く。
教材のベンチ約300脚は、ベンチの会が無償で提供した。
子どもたちが自然と文化に触れ、楽しむ機会を通じて地域を愛する心を育んでもらえればとの願いがこもる。

Thứ Ba, 6 tháng 10, 2015

お国言葉・南部弁。語り部育て文化を発信。八戸市

【2-1】(デーリー東北新聞社、文と写真・佐々木萌)引用編集
  柾谷伸夫さん(左端)が語る「南部昔コ」に聞き入る子どもたち

 「おでぁんせ(いらっしゃい)」「よがんすべ(いいでしょう)」―。
青森県南部地方に伝わる「南部弁」。
同じ青森の津軽地方の「津軽弁」と比べ知名度は低いが、特有の風土や歴史の中で育まれてきた言語文化だ。
衰退しつつあるお国言葉を守ろうと、南部の中心都市・八戸(はちのへ)市でさまざまな活動が行われている。

 青森県は日本海側を「津軽藩」、太平洋側を「南部藩」と分けて統治された時代が長く続いたため、言葉の違いが生まれたと言われている。

  はきはきとした印象の津軽弁と比べ、南部弁は柔らかな響きが特徴だ。
岩手県の言葉とも共通し、地域ごとに微妙な違いもある。
ただ、標準語があふれる環境となり核家族化も進んだことから、南部弁を知り、使う機会は急速に失われている。

 八戸市内で伝承活動の中心を担っているのが、劇作家で市公民館長の 柾谷伸夫 (まさや・のぶお) さん(65)だ。
柾谷さんは「方言は、まちのアイデンティティーを発信する方法であり大切な文化」と語る。


  昨年、市公民館は南部の民話集「南部昔コ」の語り部を養成する講座を初めて開催。
予想を大幅に上回る約100人が参加し、関心の高さをうかがわせた。

 12月6日を「南部弁の日」に制定することも決定。
長年伝承に尽力し、2012年に死去した地元の郷土史家 正部家種康 (しょうぶけ・たねやす) さんの命日で、今後この日に多彩なイベントを催す予定だ。

 柾谷さんはことし、市内の小学校で南部弁の面白さを伝える活動にも力を注ぐ。
幅広い世代が南部弁を知り興味を持つことで、郷土の良さを見直すことに期待したい。

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 地元の若い世代も南部弁のイントネーションは自然と身に付けていて、年配者につられてなまりが強くなると、不思議と会話が弾んでいく。
人と人との距離を縮める力も、魅力の一つだろう。

Thứ Bảy, 3 tháng 10, 2015

時を超え女性を癒やす立山(たてやま)、信仰の儀式続く

【4-2】(北日本新聞社、文・小川剛、写真・佐藤範幸)引用編集
「布橋灌頂会」で、目隠しをして布橋を渡る白装束姿の女性たち。富山県立山町。

 かつて、あの世とこの世の境界とされた朱色の布橋(ぬのはし)を、目隠しをした白装束姿の女性が渡る。
立山連峰の麓にある富山県立山町 芦峅寺 (あしくらじ) 地区で9月、立山信仰の女人救済儀式「 布橋灌頂会 (ぬのばしかんじょうえ) 」が3年ぶりに行われる。
癒やしの行事として、時代を超えて現代女性にも受け入れられている。

 3千メートル級の峰々が連なる立山は、江戸時代まで山岳信仰の霊山として知られ、地獄や極楽浄土があると信じられていた。
男性は責め苦に見立てられた厳しい登山を行って死後の往生を願ったが、当時の立山は女人禁制。そこで、女性が往生を願うため布橋灌頂会が行われた。
徳川将軍家の姫が寄進をするなど、江戸でも広く知られたという。

 明治時代の廃仏 毀釈 (きしゃく) で廃れたが、1996年の国民文化祭を機に130年ぶりに復活。
2011年からは住民と行政などでつくる実行委員会が3年に1度開く。

 儀式では女性たちがざんげを行ってから、仏教音楽や雅楽に導かれて橋を一歩一歩進む。
渡った先にある遥望館の暗闇の中で目隠しを解くと、ガラス壁の覆いが上がり、陽光に照らされた立山が目前に広がる。
心を見つめ直した女性からは「他界した家族を思って歩いた」「立山が見え、感謝の気持ちに包まれた」などといった声が寄せられている。

 かつて登山者のための宿坊が立ち並んだ芦峅寺地区も、近年は小学校が休校するなど人口減が課題だ。
地域住民が一体となって運営する儀式は、地区の歴史を見つめ直す機会となっている。
実行委会長の 佐伯信春 (さえき・のぶはる) ・芦峅寺総代(79)は「地域の誇りとして受け継いでいきたい」と力を込めた。


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芦峅寺 (あしくらじ) 地区では、国際的な観光地である立山・黒部アルペンルートに向かうバスが次々と姿を見せるが、大半は通り過ぎる。
「 布橋灌頂会 (ぬのばしかんじょうえ) 」に代表される集落の風情を守りつつ、いかに魅力を伝えるかが活性化の鍵となる。

Thứ Ba, 29 tháng 9, 2015

力合わせ、にぎわい復活。大型店に揺れる商店街。室蘭市

【4-1】(室蘭民報社、文と写真・石川昌希)引用編集

「中島商店会コンソーシアム」は、買い物客を呼び込もうと地元産品の抽選会を開いた。2014

  「鉄のまち」で知られる北海道室蘭市。
人口減少を背景に大型店が次々と閉店、買い物客流出や買い物弱者の課題に直面した。
商業者はコンソーシアム(共同体)を組みにぎわいづくりに挑む。

  室蘭市では1981年、丸井今井の移転開業に続き、室蘭ファミリーデパート桐屋(現イオン室蘭店)、長崎屋の大型店3店が同時にオープン。
周辺の商店街にも買い物客を呼び込んだ。
しかし、2010年に丸井今井が、12年には長崎屋も閉店してしまった。

 危機感を抱いた商業者はスクラムを組んだ。
丸井今井のあった同市中島地区の商業団体は「中島商店会コンソーシアム」を発足。
お薦め商品を紹介する「一店逸品運動」などを行い、地元の良さを知ってもらおうと知恵を絞る。
室蘭工業大の学生と若者が集まる仕組みづくりも始めた。

 本や衣類など幅広い商品をそろえていた長崎屋が閉店した同市中央地区は、買い物弱者が問題になった。
商業団体などでつくる「中央町商店街やさしさ事業コンソーシアム」は、生活用品などを安く提供する「わいわい広場」を開催。
「お年寄りに憩いの場を」との声に「ふれあいサロンよってけ浜町」もつくった。

  中島地区では、近くの大型店の拡張移転計画が持ち上がり、魅力ある 商店街づくりの 重要さは増している。
中央地区は大手スーパーが長崎屋跡地に今夏、オープンを予定する。
買い物弱者問題は一段落しそうだが、商店街への影響は読み切れない。

 大型店の盛衰は二つの地区に、地域と歩む商店街の意義をあらためて考えさせた。
中島コンソの 小野寺芳子 (おのでら・よしこ) 代表幹事(66)は「先代たちがつくった地区を廃れさせるわけにはいかない。まちづくりは義務」と、熱い思いを込めた。

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最盛期20万弱を誇った室蘭市の人口は、9万を切るのが時間の問題だ。
商店街を取り巻く環境は厳しいが、策を工夫し買い物客獲得につなげている。
視線の先には「商店街が未来のまちをつくる」との思いがある。

Thứ Năm, 24 tháng 9, 2015

住民運営の過疎地で2万人超集客。 宮崎県・西米良村 (にしめらそん)

【6-3】(宮崎日日新聞社、文と写真・草野拓郎)引用編集
「四季御膳」のメニューなどについて意見を交わす「おがわ作小屋村」のスタッフら
人口約1200人、宮崎県内で最小の自治体、 西米良村 (にしめらそん) に年間約2万5千人を集める住民運営の交流施設「おがわ 作小屋村 (さくごやむら) 」がある。
農林業の繁忙期に使用していた作業場兼住居「作小屋」を模して、かやぶき屋根にいろりの板間を備えた施設を村が整備。
過疎集落自立のモデルとして注目される施設の核は、50~70代のおばちゃんたちだ。

  55世帯90人が暮らし、約6割が65歳以上の同村小川地区。
地区住民でつくる運営協議会= 上米良秀俊 (かんめら・ひでとし) 会長(62)=が営む施設は2012、13年度に、それぞれ約2700万円を売り上げ、全国から視察が絶えない。
郷愁を誘う雰囲気と、地こんにゃくや山菜といった16種類の小鉢料理が詰まった「四季御膳」など山里の味が人気の源。
切り盛りするのは、地元の50~70代の女性スタッフを中心とする14人だ。
協議会事務局長を務める 上米良省吾 (かんめら・しょうご) さん(28)は「おばちゃんたち自身がここの資源」と目を細める。

 チーフスタッフの 上米良 (かんめら) みな子さん(58)は「接客も料理も、素人なりに小川を残したいと思って必死にやってきた」と振り返る。
御膳に欠かせない手作り豆腐は、十数年間途絶えていたものを、彼女たちが試行錯誤で復活させたものだ。

 月替わり御膳のメニューの食材は村内で採れるものに限っており、月1回の定例会議で調理法などを意見交換する。
チーフスタッフの 中武 (なかたけ) タツさん(77)は「自分たちの作小屋。寝る間も惜しくない」と意欲的だ。

 省吾さんは「集落を残し続けるために、おばちゃんたちの思いをつないでくれる若い世代が必要だ。これからが正念場」と課題を見据えている。

Thứ Sáu, 18 tháng 9, 2015

歴史ロマンのまちを リニア見据え。飯田市座光寺

【6-2】(信濃毎日新聞社、文と写真・菅沼勇)引用編集
自治組織が設置した看板。古墳や遺跡などの歴史資源を紹介している。2014

 2027年開業を目指すリニア中央新幹線計画。
長野県内のリニア新駅予定地にある飯田市 座光寺 (ざこうじ) では、「歴史ロマンに触れられるまち」づくりが進んでいる。
地元に密集する古墳や遺跡などの文化財を生かし、リニア開業で身近となる都会にアピール。
訪れる人を増やそうという狙いだ。

座光寺には、3月に国史跡に指定された古代役所跡「 恒川官衙 (ごんがかんが) 遺跡」や元善光寺、県史跡「高岡第1号古墳」などが集まる。
戦国時代の「 南本城城跡 (みなみほんじょうじょうあと) 」や、県内最古の学校建物で県宝の「旧座光寺 麻績 (おみ) 学校校舎」もあり、年代も古墳時代から明治までとさまざまだ。

 住民組織の座光寺地域自治会は、史跡がある一帯を「2000年 浪漫 (ろまん) の 郷 (さと) 」と命名。リニア新駅から徒歩圏内になるとみて、散策コースの整備も想定している。
6月には浪漫の郷の具体化に向けた委員会を立ち上げ、知恵を絞り始めた。


 飯田市から東京までは現在、高速バスで4時間以上かかるが、リニアが実現すれば1時間以内になる。
市内には駅周辺で積極的な開発を期待する声もあるが、自治会は「文化や伝統に根付いた生活環境を守りたい」と一致。
過去から受け継がれた資源を生かして地域の未来を築いていくことにした。

 自治会はこれまでも史跡の整備や案内看板の設置などの文化財保護活動を続けており、浪漫の郷もこうした活動の延長にある。

リニアのルート選定でも古墳群を避けるよう要望、JR東海に受け入れられた。
湯沢英範 (ゆざわ・ひでのり) ・自治会長(73)は「息の長い取り組みになるが、史跡を生かし、地域の活力になる仕掛けをしていきたい」と話している。

Chủ Nhật, 6 tháng 9, 2015

山里に芸術祭根付く。秋田県・上小阿仁村 (かみこあにむら)

【6-1】(秋田魁新報社、文と写真・那須智子)引用編集
虹色の布で彩られた木橋。 会期中は現代アートを無料で鑑賞できる。2014


 棚田や畑に小さな風車が花のように点在し、木橋には虹色の布がつるされ軽やかに舞い上がる―。
自然豊かな山里を現代アートで彩るイベントが、8月から秋田県 上小阿仁村 (かみこあにむら) で開かれている。

  県中央部の山あいにある村は人口2609人、
高齢化率46・9%(7月末現在)。
高齢化率が全国一の秋田県の中で、最も厳しい状況にある。

 この村にアートで人を呼び込み、活性化につなげようという試みが芸術イベント「KAMIKOANIプロジェクト秋田」。
村や県が実行委員会を立ち上げて2012年に初めて開催、今年で3回目を迎えた。

 ディレクターの 芝山昌也 (しばやま・まさや) ・秋田公立美術大准教授(41)は「村の自然や営みに光を当てた作品は来場者に村の魅力を伝え、地域を見詰め直すきっかけになる」と話す。


芸術イベントは実行委の予想を上回る集客力を発揮した。
1年目は最も奥にある八木沢集落(9世帯16人)で51日間行い、目標とした5千人の2倍近い延べ9千人が来場。
昨年は会場や作品の数を増やし、66日間で延べ1万2千人が訪れた。

 今年は8月9日~10月13日の66日間、日本と台湾の作家28人が3集落に出展。
公民館の一室に風船を描いたびょうぶを置き、周囲に本物の風船を敷き詰めた作品などが来場者の目を引いている。

 出展者のうち5人は廃校舎に滞在して制作。
作品について村民らと語り合い、交流が生まれている。
八木沢集落に住む 村田 (むらた) チサさん(92)は「若者たちが大勢来てくれて、村が明るくにぎやかになった」と喜ぶ。
根付いた活性化の芽をしっかり育てようと、住民たちの連帯感は膨らむ。

 *
秋田県では10月4日~11月3日、第29回国民文化祭が開催される。
上小阿仁村 (かみこあにむら) の芸術イベントはその一環でもある。
アート展示だけでなく伝統芸能など多彩なイベントもあり、全国から訪れた人は「日本の原風景」を堪能してほしい。