深谷シネマの年代物の映写機を操る竹石研二さん |
わずか六十席の映画館だが、年間約百本の作品を上映し、約二万五千人の来場者を集めている。
市民団体が主体となって文化、芸術性の高い作品を中心に上映する「コミュニティシネマ」の草分けとして注目され、全国から視察が相次ぐようになった。
深谷シネマを運営するNPO法人「市民シアター・エフ」が発足して十五年。
“生みの親”の竹石研二さん(67)は「ようやく市民に親しまれる街の映画館として定着してきた。
これからも市民の暮らしと共にある映画館を目指したい」と語る。
竹石さんが深谷シネマの構想を温めたのは十七年前。
ちょうど五十歳を迎えた時期に勤め先から転勤を言い渡され、岐路に立たされた。
テーブルにメモ用紙を広げ、自分自身に問うた。
「自分の夢は何か。本当に自分がしたいことは何なのか」
竹石さんは勤め先を辞め、仲間と共に「市民のための映画館をつくろう」と署名活動を始めた。
市内から映画館が消えて三十数年。
「商店街の一角の小さなスペースでもいい。
映画館を核に、かつての街のにぎわいを取り戻そう」との思いからだった。
二〇〇〇年にNPO法人の活動を開始。
この年、第一回市民映画会を開いたほか、商店街の店舗を借りた仮設のミニ劇場に一週間で千百五十人の来場者を集めた。
〇二年には銀行の空き店舗を改装して念願の常設映画館「深谷シネマ」(五十席)を開業。
一〇年に旧七ツ梅酒造跡を改装し、移転オープンした。
リーマン・ショック直後は来場者数が三割ダウンし、赤字に転落したが、その後客足は持ち直しつつあるという。
「映画館ができると人が来て、空洞化しつつある商店街に新たな人の流れが生まれた。
映画館は街の必需品なのだとつくづく感じた」。
深谷シネマの経験を全県に広めようと、各地での上映会や小規模映画館開設の手伝いにも力を入れる。
シネマコンプレックス(シネコン、複合映画館)が主流となるなかで「県内の自治体のうち約三分の二に映画館がない」と憂いつつも「街の小さな映画館とシネコンのすみ分けは十分可能だ」と指摘する。
また、深谷シネマに足を運べない人のために年間二十回ほど、映写機を運んで各地で出張上映会を開いたり、市の記録映画の制作も手掛けたりと、館外活動も盛んに行っている。
「映画は自分の体験したことのないわくわくした世界に連れて行ってくれる“窓”だ。
国を超えて人間の多様な生き方も見せてくれる。
その魅力を伝えたい」 (花井勝規)
<たけいし・けんじ> 1948年、東京都墨田区向島生まれ。都立の工業高校を卒業後、工場勤務などを経て75年、横浜放送映画専門学院に入学。卒業後、日活児童映画の企画営業部門で約10年間勤務。2000年、「深谷シネマ」を運営するNPO法人「市民シアター・エフ」の理事長に就任した。NPO法人埼玉映画ネットワーク理事長も務めている。深谷シネマの所在地は深谷市深谷町9の12。火曜休館。問い合わせは同シネマ=電048(551)4592=へ。
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