Thứ Bảy, 31 tháng 10, 2015

軽井沢は、引き算で@@@

【2015/10/29】日本経済新聞。引用編集

時流地流「引き算」が際立たせる個性

◆現在の人口は2万人を少し超す程度ながら、この15年で21%も人口を増やしたのが長野県軽井沢町だ。町の人口は何度か減ったが、1997年に長野(北陸)新幹線が開業してからは緩やかに増加を続ける。JR軽井沢駅から新幹線に乗車する人や、しなの鉄道の利用者の数も右肩上がりだ。

◆「新幹線の駅ができればにぎやかになる」。住民の素朴な期待とは裏腹に開通後、東京など大都市にヒトやカネを吸い取られる「ストロー現象」に見舞われる自治体は少なくない。それなのに軽井沢はどうしてヒトをひきつけられるのか。9月下旬、石川県の経営者らと町を視察したとき、そんな視点で町内を回った。

◆駅の北側、旧軽井沢周辺の別荘地を巡ると、カラ松林の中に広がる別荘地の1区画が広い、土地に比べ建物の大きさが一定の比率以下、塀がない――といった特徴に気づく。別荘地の建ぺい率や建物の高さは町の「自然保護対策要綱」で厳しく定めてあるからだ。

◆木々の隙間から浅間山や青空が望める「軽井沢らしい風景」は自然に保たれたわけではなく、取り決めを住民が守り続けたからこそ実現できた。藤巻進・軽井沢町長は「我々はこうして先人がつくった伝統を守っている」と力を込める。

◆町では条例などにより「できないこと」が多い。新宅弘恵・軽井沢観光協会事務局次長は「温泉を掘るのは難しいし、飲食店で女性がお酌をすることもできません」と笑う。温泉地のような遊びをしたいニーズもあるかもしれないが、それが可能になれば軽井沢らしさは失われる。できないことの多さ=「引き算」の発想が、町民憲章がうたう「世界に誇る清らかな環境と風俗」を形作っている。

◆「上乗せ交付金」を得られる期限である10月末に向け、自治体は地方創生の総合戦略を策定するのに躍起だ。ただ多くの戦略は、施策を積み上げていった結果、他との違いがわかりにくいものになっている。「これはしない、あれはできない」という引き算から出発した方が個性ある街づくりにつながる。

(原孝二)

Thứ Sáu, 30 tháng 10, 2015

鉄道遺産がワイン貯蔵庫に 甲州市

17-3】(山梨日日新聞社、文と写真・長田和之)引用編集
「勝沼フットパスの会」のメンバーの案内でトンネル内のワインカーブを見る観光客ら


 東京方面からJR中央線に乗り山間地を抜けて甲府盆地に入ると、眼下にブドウ畑が広がる。
山梨県甲州市の勝沼地区は全国有数のブドウ産地で、日本のワイン産業発祥の地でもある。

 観光ブドウ園の先駆けとなった「宮光園(みやこうえん)」や、現存する日本最古の木造ワイン醸造所(現シャトー・メルシャンワイン資料館)など、数多くの近代産業遺産が残る。

中でも異彩を放つのが、JR中央線の旧トンネル2本を活用したワイン貯蔵庫「勝沼トンネルワインカーブ」と「大日影(おおひかげ)トンネル遊歩道」。
ワインカーブは約100万本のワインを貯蔵でき、市内のメーカーのほか、個人コレクターにも開放。
明治時代から勝沼と首都圏を結び、ブドウ産地の形成に貢献した鉄道文化の遺産が貯蔵庫としてよみがえる。

 ブドウとワインのまちの魅力を発信しようと、2006年12月に発足した「勝沼フットパスの会」は、これらの近代産業遺産を地域巡りのツアーのルートに加えている。

 ツアーは毎月第1日曜日に開催。
数人のグループから受け付け「全員が満足してくれるおもてなしを心掛けている。
ブドウ、ワイン産地の歩みに触れることができ、参加者から好評です」と小沢正光(おざわ・まさみつ)会長(61)は言う。

 「先人たちが残してくれた宝を守り、伝えていくことで、自分たちもこのまちにもっと愛着が生まれる。
そんな活動にしていきたい」。
小沢さんの思いは広がる。

 今から100年以上前、醸造技術を学ぶために本場フランスに派遣されたのが、土屋龍憲(つちや・りゅうけん)と高野正誠(たかの・まさなり)。
ワイン造りを通じて2人の若者が描いた地域発展の願いは、現代にしっかりと引き継がれている。

歌のページ

・・・・・・・・・・・【軍歌】

愛国行進曲
海行かば・教育用  海ゆかば 伊藤久男(ステレオ)
紀元二千六百年
金鵄(きんし)輝く  日本の 榮(はえ)ある光
身にうけて いまこそ祝へ  この朝(あした)
紀元は二千六百年  あゝ 一億の胸はなる 
敵は幾万
同期の桜 鶴田浩二  同期の桜
    鶴田浩二 号泣 神風特攻, 同期の桜
1  貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため
2  貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないか  なぜか気が合うて 別れられぬ
3  貴様と俺とは 同期の桜  同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に  未だ還らぬ一番機
4  貴様と俺とは 同期の桜  同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず  なぜに死んだか 散ったのか
5  貴様と俺とは 同期の桜  離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社  春の梢に 咲いて会おう
蛍の光
ラバウル小唄
さらばラバウルよ  又来るまでは
しばし別れの  涙がにじむ
恋しなつかし  あの島見れば
椰子の葉かげに  十字星








    独特の内蔵(うちぐら)、まちの顔に 横手市・増田町(ますだまち)

    17-2】(秋田魁新報社、文と写真・三井晃子)引用編集
    家の内部に造られた「内蔵」。訪れる観光客が増えている=秋田県横手市

     秋田県有数の豪雪地帯・横手市(よこてし) 増田町(ますだまち)は、家の内部に造られた「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる蔵を生かしたまちづくりに力を入れている。
    江戸末期から昭和初期にかけ、地元の有力商人や地主がこぞって蔵を構え、代々受け継がれてきた。
    一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される見通しだ。

     内蔵は豪雪に備え、蔵そのものが「さや」と呼ばれる建物にすっぽりと覆われている。
    居住スペースの奥にあり、黒しっくいの重厚な扉が特徴だ。
    内装は豪華な漆塗りが多い。

     地区で確認された内蔵は約45棟。
    密集して現存する地域は全国的にも珍しいという。
    自宅が国登録有形文化財となっている佐藤又六(さとう・またろく)さん(74)は「先祖代々受け継いできた蔵は誇り」と胸を張る。

     通りに沿って短冊形に地割りされた敷地に切り妻造りの 母屋が並ぶが、内蔵は建物の内部にあるため、外から見ても分からない。
    蔵は生活の場であり、住民以外には長い間、あまり知られていなかった。

     脚光を浴び始めたのは2005年。
    地元の文化財協会が地域の記録として発刊した写真集が県内外から注目を集め、所有者の一部が内蔵を公開するようになった。
    一斉公開する「蔵の日」と題したイベントも始まり、観光客が年々増えている。

     「増田まちなみ保存会」の会長も務める佐藤さんは「町並みを保存し、地域で活性化させようという機運が高まっている」と語る。
    先人が残した歴史的な資源を生かして地域に活気をもたらそうと、住民主体の取り組みが進められている。


    *
     表通りから 母屋に入り内蔵を目にすると、一気にタイムスリップした気分を味わえる。

    Thứ Năm, 29 tháng 10, 2015

    高沢橋を観光名所に。 ” 高沢橋 4寺と組んで 川越守り ”


    ”  高沢橋  4寺と組んで  城守り  ”
    見立寺(けんりゅうじ)、大蓮寺、本応寺、観音寺の4寺は、
    いくさに備えて、
    高沢橋を守る砦(とりで)の役を果たしていました。

    高沢橋から川越城までは、わずか450メートル。

    菓子屋横丁からわずか80メートル。
    災害時の避難には、高沢橋方面へ誘導を。【※】観光客はまず知りません。

    眼を見張るようなトイレの設置を。

    かつては4寺は砦でも。川越城・中の門・堀跡との関連。 川越史。

    『川越街中避難観光地図』
        「避難・観光が1枚に」


    【cf.インフラ】長野-金沢開通。ウェスタ川越。ディズニーランド




    Thứ Ba, 27 tháng 10, 2015

    体験する縄文遺跡、人気上昇 北海道・伊達市

    17-1】(室蘭民報社、文と写真・佐藤重理)引用編集
    北黄金貝塚公園にある復元された竪穴住居を見学する小学生ら。2013

     北海道伊達(だて)市の史跡、北黄金貝塚公園は縄文時代前期から中期(7千~4500年前)の遺跡だ。
    2001年のオープン以来、1万5千~2万人の年間来場者を誇る。
    今季も札幌市内の小学校の約4分の1に当たる61校が訪れ、かつての牧場は観光バスが押し寄せる史跡に変貌した。

     管理する伊達市噴火湾文化研究所の大島直行(おおしま・なおゆき)所長(63)=北海道考古学会会長=が「活用しながら保存する」方式を提唱し軌道に乗せた。
    発掘見学会や市民を巻き込んだ縄文まつりを開き、ボランティアのガイドや植樹・森づくりを担う市民グループが活躍する。
    講座だけでなく、キャンプや 竪穴住居での薫製作り、勾玉(まがたま)の製作など体験イベントの企画にも学芸員が知恵を絞り、地域資源に磨きを掛ける。

     洞爺湖有珠山(とうやこ・うすざん)ジオパークの一部で、世界文化遺産の登録を目指す「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の一角でもある。
    大島所長は「道内遺跡のポテンシャルは高く、多くの人に知ってもらいたい」と強調する。

     遺跡を抱える自治体とのネットワークも広がる。
    同研究所が事務局を担う「北海道縄文のまち連絡会」=会長・田岡克介(たおか・かつすけ)石狩市長=には、25市町が参加。
    36遺跡を掲載した「縄文のまちハンドブック」を9月に発行、スタンプラリーも企画する。
    旅行会社がバスツアーを決定するなど、早くも手応えがある。

     発足1年で会員が100人を数える、さっぽろ縄文探検隊の佐藤亜美(さとう・あみ)代表(45)は「アイヌ文化のルーツとされる縄文人の精神性など、興味は尽きない。
    ハンドブックからは遺跡の魅力も伝わり、活用できそう」と話している。

    *
     学習旅行の人気を集める理由は、貴重な出土品以上に情報を発信するボランティアや学芸員の存在にある。


    洞爺湖有珠山ジオパーク