足利義教【あしかが・よしのり】(1394-1441)
湯起請 御前落居(ごぜんらっきょ) 将軍犬死
室町幕府の第6代将軍。3代将軍義満の子息で、4代将軍義持の弟。10歳の時に青蓮院に入り、15歳で得度し、義円と称す。天台座主に進んだが、正長元年(1428)正月、鬮【くじ】によって義持の後継者に定められ、3月12日、還俗して義宣と改名。永享元年(1429)3月、元服して征夷大将軍。この時に義教と改名。当初は管領をはじめとする宿老の意見に従って政務を行ったが、しだいに将軍専制を志向。永享11年には関東に勢力を持ち幕府に反抗的態度を示していた足利持氏を自殺させて鎌倉府を滅ぼした(永享の乱)。しかし苛烈に過ぎる政策が諸将の不満・不安を招き、嘉吉元年(1441)6月24日、赤松満祐によって誘殺された。
湯起請【ゆぎしょう】
中世の裁判で行われた神意による真偽の判定方式の一つ。熱湯の入った釜の中に石を置き、訴訟の当事者がこれを手に取った際の損傷(「失【しつ】」という)の有無によってその主張の真偽を判定した。
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