Thứ Năm, 27 tháng 8, 2015

新発田市(しばたし)、忠臣蔵の堀部安兵衛をアピール

【2-1】 (新潟日報社、文・鈴木孝実、写真・本間美季子)引用編集
義士堂で赤穂浪士四十七士の木像などを眺める武庸会の嶋谷次郎八会長(左)と、長徳寺の関根正隆副住職。2012

 赤穂浪士四十七士の中で人気のある堀部安兵衛は、新潟県新発田市生まれ。
だが「名前は知っているけれど...」と、市民に特別な地元意識があるわけではない。
忘れられてはならないと、市民団体を中心に地域はPRに本腰を入れている。

 堀部安兵衛武庸(たけつね)から名を取った市民団体「武庸会」は毎年、討ち入りのあった12月14日に法要などを行う「義士祭」を開き、顕彰してきた。

2013年は設立100周年。会員は安兵衛のファンで活動には力が入る。
安兵衛誕生月のことし5月には市民らに呼び掛け、「生誕地まつり」と銘打ち、1カ月間にわたる企画を初めて実施した。

 5月10日正午には、四十七士の演目で人気となった明治・大正の浪曲師、桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)が100年前の同日同時刻に安兵衛の父の菩提(ぼだい)寺、長徳寺で写真を撮っていたことにちなみ、撮影会を開催した。

 期間中は安兵衛の「高田馬場の決闘」の朗読劇などのイベントも開き、にぎわいを生み出した。嶋谷次郎八(しまや・じろうはち)会長(70)は「この好機を逃さず、新発田の安兵衛をアピールしていきたい」と意気込む。

 
 今後、PRの目玉と考えているのが長徳寺にある「義士堂」。
お堂は1929年に雲右衛門が寄贈した四十七士の木像を納めるために建てられた。
昨年の調査で、天井画57枚は時の政治家や軍人が描いたものと判明。
文化財的価値も分かって、一層盛り上がり、次の「一手」に知恵を絞る。
新発田市は、地元の歴史的遺産を活用したまちづくりに取り組んでおり、市内の武庸橋の整備なども進めている。
 官民挙げて「安兵衛のまち」として全国に"討ち入り"する。

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