敷石供養塔。うしろは島崎藤村の「不染亭」 |
寺院や神社の参道には、参拝者が歩きやすいように敷石が敷いてあります。敷石供養塔とは、こうした土木工事が完成した際に建てられたもので、ここで紹介するのは南入曽の金剛院こんごういん境内にあるもので、天保3年(1832)6月の造立です。
この供養塔は両側面に「庄屋水野忠助」「助力近村中」とあるので、水野村の庄屋しょうや(名主のこと)と近隣の村々が協力して敷石を完成させた際に、供養塔を造立したことがわかります。また台座には、発願として僧侶の「義順」や村人の名前があり、助力として念仏ねんぶつ講や斎日さいにち講の人々の名前も刻まれています。
敷石も、石橋をかけるのと同様に多大な経費と人手を必要としました。これに多くの人々がかかわっているのは、労力を提供することが功徳くどくであり、ひいては村を悪霊から守ることにつながると考えていたためです。
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