「安定」いいね 小田原萌え
朝日新聞 2014年10月31日
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国三英傑。さらには武田信玄や上杉謙信、伊達政宗らと比べても、いま一つ影が薄いのが、小田原城(神奈川県小田原市)を拠点にした北条氏。結論が出ない話し合いを意味する「小田原評定」から、マイナスなイメージもつきまとう。だが、乱世にあって5代続いた北条氏を再評価し、「萌(も)える」人たちの輪も広がりつつある。
「WE(ハート)HOJO5」。こんなキャッチフレーズを掲げ、「歴女」「城ガール」と呼ばれる女性を対象にしたブロガーコンテストが、今月から始まった。参加者は、小田原城を始めとした北条氏ゆかりの地を訪ねてもらい、その様子をブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に投稿してもらう。
主催するのは小田原市や東京都八王子市、埼玉県寄居町など、5都県の12市町で構成する「北条五代観光推進協議会」。小田原市観光課は「正直なところ、参加者が10人を超えてくれれば、と願っていた」が、募集を始めると全国から39人が参戦。うち6割は10~30代だった。
「小田原城を見ると癒やされる」。その魅力を熱く語るのは、東京都豊島区の会社員の女性(31)だ。片道2時間かけて、月に2回は訪れる。北条ファンと言っても、なかなか周囲からの理解が得られないのが悩み。それでも「北条五代は家族が仲良くて地元を愛している。地味だからこそいいんです」ときっぱり。
生き馬の目を抜く戦国時代は、親族であっても気を許せなかった。三英傑をみても、信長は弟の信行を、秀吉はおいで養子の秀次を、家康は長男の信康を手にかけている。ところが、早雲から始まる北条氏(後北条氏)には、目立ったお家騒動がなく、五代100年続いた。多くの武将が「天下」を夢見て、京都への上洛(じょう・らく)を目指す中で、関東の安定に力を入れた。
秀吉を相手に、抗戦か降伏かで意見が分かれたことが源となる小田原評定。歴史学者で、静岡大名誉教授の小和田哲男さん(70)は「当主の独裁でなく、家臣の声をよく聞く民主的な運営をしていたからこそ」と前向きな評価をする。さらに「税率を下げるなど政治も領民思い。家臣や領民の反乱が少なく、他国に比べて非常に安定していた」と述べる。
八王子市元八王子地区の自治会連合会は2012年秋から、八王子城主だった氏照をたたえる「北条氏照まつり」を開催。元々は町会対抗の運動会で、北条五代協議会の発足や、八王子城の一部復元を受けて一新。目玉の武者行列の来場者は5万人強と、運動会の約5倍に増えた。
連合会の福田一訓さん(71)は「それまで北条氏を意識することはそんなになかったが、歴史人気の高まりを感じる。ドラマなどではいつも秀吉に滅ぼされる悲劇ばかり。もっと別の面を注目してもらえれば」と話す。
北条五代観光推進協議会の目標はNHK大河ドラマ化。現在の「軍師官兵衛」で時代考証を務める小和田さんは「北条氏は、地方分権の先駆けと言える。他の勇将とは違う存在感を、もっと知ってもらう価値は十分にある。ドラマ化などで、負のイメージを払拭(ふっ・しょく)してほしい」と期待する。
■北条五代(後北条氏)
初代早雲から氏綱、氏康、氏政、氏直まで、豊臣秀吉に敗れる1590年まで、約100年続いた。戦国時代最大級で、難攻不落とされた小田原城の天守は戦後の再建だが、土塁や石垣などは当時のまま。忍(おし)城跡(埼玉県行田市)は小説・映画「のぼうの城」の舞台で、秀吉の小田原攻めの際、北条方だった同城で攻防があった。八王子城跡は、軍議などを開いた御主殿が13年に復元された。
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